昨日、事務所に届いていたこちらの情報誌が目に留まりました。
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不登校
 
「不登校児」の文字。他人事ではない。


遠い記憶ですが、遡る事1990年代、
私が小学生だった頃の話です。


食べ物の好き嫌いが酷かった私は、小学校に入ってから「給食」という壁に
あたりました。
周りの友達はお昼の時間になると「今日は何の給食かな?」と
騒いでいるのに対し、私は憂鬱な時間でしかありません。
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当時使われていた容器はこんな感じのものでした。
(今もこの色の食器は若干トラウマです)

勿論好きな食べ物もありますから毎日ではありませんが、大半が
残すパターンです。

小学1年~4年まではそんな毎日が続き、
5年生で担任が代わった時でした。

「おい相澤!お前給食残してんだってな!?
先生は絶対許さないからな!今日から全部食べろよ」
(ちなみに発言はありのままで女性の教員です)


!!!!!!!?
もう人生終わったな・・・と子供ながらに察知したのを覚えています。


そこから毎日残せば、昼休み~5時間目へと机の上には
このトレーが 置きっぱなし。教科書もろくに開けません。
周りからは薄笑いの表情が感じ取れ、授業が終わる頃
漸く片付ける形です。

そんな毎日が嫌になり、ある日
「もう学校に来るのは止めよう」とランドセルもって
無言で帰宅しました。(給食だけでこうなるとは・・・)


両親からは「どうしたんだ辰哉!?」と当然お説教受けましたが、
事情を説明したら親は理解してくれました。


自分で鬼の〇〇と名乗るほどの女性教員を納得させるのに
校長先生も助っ人してくれて約半年はかかったでしょうか。

その間連続して不登校だった日数は60日。その前後も
ちょくちょく休みましたから累計で90~100日は欠席したと思います。


中学進級を前にして休み過ぎて留年という話まででましたが、
何とか進級はできました。
しかし、重要な学年の授業を100日も休めば学力が伴わないのは
当然です。


授業についていけないからつまらない。
何からやったら良いかわからない。
小学校の授業まで遡りたくても中学生が通う小学塾はない。


そんな状況での中間、期末テストですから
とある科目での学年順は200人中198位です。(唖然)


三者面談では担任から
「お母さん、辰哉君はハキハキしていて礼儀だけは人一倍良いのですが
学力の方が・・・・」と。

礼儀だけは。。。確かにそこは両親から良く教育受けていました。


そうです私は律儀正しい、バカ。だった訳です。


それでも考えが甘かった私は「受験も何とかなる」
程度にしか思っておらず、いざ受験に臨みましたら
当然希望校に合格できるはずもなく・・・仲良し組みの中で
私だけ落ちました。

一人だけ別の高校に行く事になり、合格発表日はあまりのショックに
コタツの中に潜り込んで一日中大泣きした記憶は今も鮮明です。
(大きな挫折でした)


散々、両親にも迷惑をかけながらこの先もこれでいいのか。
自身に問いかけ、


これはマズイ! 


そしてそこから小学校の算数を始め、中学の全科目の総復習、
高校進学してからは部活もやりながら、帰宅後は復習復習を
明け方4時頃まで連日やりました。

殆んど寝ずに朝練へ向かう日も何度もありましたので、
霊的要素を気にする母は「何かに憑りつかれているのかね」と 
変な心配をし、占い師まで自宅に呼ばれた始末です。。


そうこうしているうちに学力も回復、上昇し、最下位争いだった私が
上位に入り、「馬鹿でもやればできる!」を実感しました。
(勉強も遊びもやりたい事をとにかくやりましたね)


その頃に培った挽回根性と気合いは、
お蔭様で社会人になった今でも自分の助けとなっています。
鬼の〇〇先生と会ったからかもしれませんので
寧ろ今は感謝しています。


あ、ご安心下さい。
給食のあのトレーが目の前に現れない限りは
業務から逃げ出すことは一切ございません。

※これを見てくれている当店スタッフの皆さん、悪戯で私の机に
給食トレーを置かないで下さいね。



見出しにあります情報誌には、
若年の引きこもり70万人とも書かれており、大変なご事情の方、その他
中には私と同じく些細な事から不登校へ発展してしまった境遇の方が
おられるのではないでしょうか。


そんな方へ苦い過去を経験した者として
「気兼ねなく、やりたいことやりましょう」とエールをおくりたいと思います。